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御嶽山

御嶽山
木曽町上空から望む御嶽山
木曽町上空から望む御嶽山
標高 最高峰 剣ヶ峰 3,067[1] m
所在地 日本の旗 日本
長野県木曽郡木曽町王滝村
岐阜県下呂市高山市
位置 北緯35度53分34秒
東経137度28分49秒
座標: 北緯35度53分34秒 東経137度28分49秒[1]
山系 独立峰御嶽山系
種類 成層火山
活火山ランクB[2][3]噴火警戒レベル1(活火山であることに留意)[4]
最新噴火 2014年(継続中)
初登頂702年役小角が開山)[5]
御嶽山の位置
Project.svg プロジェクト 山
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御嶽山[6](おんたけさん)は、長野県木曽郡木曽町王滝村岐阜県下呂市高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3,067 mの複合成層火山である[5][7]。大きな裾野を広げる独立峰である[8][9]

2014年9月27日に7年ぶりに噴火。山頂付近にいた登山客が巻き込まれ、1991年雲仙普賢岳の火砕流による犠牲者数を上回る事態となった[10][11]

概要

御嶽火山の地形図
継子岳と三ノ池(火口湖

木曽御嶽山御嶽、王嶽[7]、王御嶽[12]とも称する。また嶽の字体新字体で表記し御岳山や、単に御岳[8]と表記されることもある。標高3,000mを超える山としては、日本国内で最も西に位置する。日本には同名の山(御嶽山・御岳山)が多数あり、その最高峰である[注釈 1]。山頂には一等三角点(3,063.61 m、点名「御岳山」)[13]御嶽神社奥社がある。

古くから山岳信仰の対象のとして信者の畏敬を集めてきた巨峰で、いくつものを連ねてそびえる活火山である。民謡の『木曽節』では「木曽の御嶽夏でも寒いやりたや足袋添えて」、『伊那節』では「わしが心と御嶽山の胸の氷は 胸の氷はいつとける」と歌われており、神聖な信仰の山であるとともに木曽を代表する山として親しまれている[14]東海地方特に尾張地方ではほとんどの場所からその大きな山容を望めることから、「木曽のおんたけさん」として郷土富士のように親しまれている山である[15]日本百名山[8]新日本百名山[16]花の百名山[17]ぎふ百山[18]のひとつに選定されている。旧開田村を代表する山として飛騨頂上、旧三岳村を代表する山として剣ヶ峰が「信州ふるさと120山」の一つに選定されている[19]1927年(昭和2年)に、大阪毎日新聞社東京日日新聞社などにより日本二十五勝の一つに選定されている。

国立公園に指定されている飛騨山脈赤石山脈国定公園に指定されている木曽山脈とは異なり、国定公園にさえも指定されていない。長野県の御岳県立公園[20]および岐阜県の御嶽山県立自然公園[21]には指定されているものの、国立・国定公園に指定されなかったのは、木曽ヒノキを主とする林業の盛んな地域であるという事情がある。山腹は深い森で覆われ多くのがあり、木曽川水系の源流部の山であり、その下流部である中京圏の水がめとなっている。

以前は死火山休火山であると思われていた山であるが、1979年昭和54年)10月28日に突如噴火した[9]気象庁2008年平成20年)3月31日に噴火警戒レベル1(平常)と噴火予報を発表した[22]2014年(平成26年)9月27日に噴火、南側斜面を火砕流が流れ下り、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられた[23]。これに伴い、火口から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された。 2015年6月、火山性地震は続くものの2014年10月中旬以降噴火が観測されていないため、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引下げられた[24]。これに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に変更された。 2017年8月、噴煙活動や山頂直下付近の地震活動は緩やかな低下が続いており、2014年10月中旬以降噴火の発生がないため、噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)に引下げられた[4]。ただし現在も、火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域である。

「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例[25]」により、御嶽山の火口域から4km以内の地域[26]に立ち入る場合に登山届の提出が義務づけられている。

長野県では「長野県登山安全条例[27]」により、指定登山道[28]を通行しようとするときはあらかじめ登山計画書を届出[29]なければならない。

また山頂付近には噴火に備えて、登山者向けの屋外スピーカー避難シェルターが設置されている[30]

山名の由来

遠く三重県からも望め「王御嶽」(おんみたけ)とも呼ばれていた[31]。古くは坐す神を王嶽蔵王権現とされ[32]修験者がこの山に対する尊称として「王の御嶽」(おうのみたけ)称して、「王嶽」(おうたけ)となった[7][33][34][注釈 2]。その後「御嶽」に変わったとされている[35]修験者の総本山の金峯山は「金の御嶽」(かねのみたけ)と尊称され、その流れをくむ甲斐の御嶽武蔵の御嶽などの「みたけ」と称される山と異なり「おんたけ」と称される[36][37]。日本全国で多数の山の中で、「山は富士、嶽は御嶽」と呼ばれるようになった[34][38]

火山・地勢

信州松本野麦峠スキー場から望む雲海に浮かぶ山頂部が広い御嶽山、右端が「日和田富士」と呼ばれる継子岳

御嶽山は日本の山の標高順で14位の山であり、火山としては富士山に次いで2番目に標高が高い山である[注釈 3]。剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山(2,959.2 m)、継子岳(2,858.9 m)、継母岳(2,867 m) などの外輪山があり、南北約3.5 kmの山頂部による台形の山容である。北端の継子岳は比較的新しい山体の成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな円錐形をしており、郷土富士として「日和田富士」とも呼ばれている[39]。なお、長野県側に寄生火山として三笠山(2,256 m)、小三笠山(2,029 m)がある。最高点の剣ヶ峰は長野県に位置し、王滝口登山道の外輪山との合流部が「王滝頂上」(標高点2,936 m)[40]、小坂口との合流部が「飛騨頂上」(標高2,811 m)である。火山灰の堆積した裾野は広く、長野県側の麓の傾斜地では濃い色の火山灰が耕地を覆っていて、高地の開田高原蕎麦の産地として知られている[7]。岐阜県側の地形は長野県側と比較して複雑で、平坦地が少なく、尾根筋が屈曲している[7]。2007年(平成19年)5月10日に、日本の地質百選選定委員会により「日本の地質百選」の第1期選定(全国83箇所)の一つに選定された[41]

山容 山名 標高
(m)[1][13][注釈 4]
三角点等級
基準点名[13]
剣ヶ峰からの
方角と距離(km)
所在地
摩利支天山から望む継子岳、手前に五ノ池と五の池小屋、遠景の左側は乗鞍岳(2013年7月9日) 継子岳 2,859.14 三等
「継子岳」
16 cardinal points N.png北 2.7 高山市
木曽町
南側から望む摩利支天山と賽ノ河原(2014年9月6日) 摩利支天山 2,959.45 三等
「御岳」
16 cardinal points NNW.png北北西 1.4 下呂市
木曽町
王滝頂上から望む剣ヶ峰、山頂部に王滝御嶽神社頂上奥宮本宮と山小屋(2010年8月27日) 剣ヶ峰
(最高点)
3,067 (一等)
「御岳山」
(3,063.61m)
16 cardinal points O.png 0 木曽町
王滝村
東方から望む継母岳(2013年7月9日) 継母岳 2,867   16 cardinal points W.png西 1.4 下呂市
王滝村
三笠山、登山口の田ノ原には駐車場と田ノ原山荘、遠景は牧尾ダムの御岳湖(2011年9月18日) 三笠山 2,256.1 三等
「三笠山」
16 cardinal points SE.png南東 3.2 王滝村
王滝頂上方面から望む御嶽山
1995年6月25日の噴煙の状況
王滝頂上方面から望む御嶽山
2011年9月18日の噴煙の状況
御嶽山の南面の木曽川水系王滝川の支流である赤川最上流部の地獄谷の火山ガスを噴出する噴気孔
2011年9月18日の噴煙の状況

火山活動

御嶽山は東日本火山帯の西端(旧区分による乗鞍火山帯の最南部)に位置し、古生層と中生代の濃飛流紋岩類を基盤(基底部は17 km四方の広さ)とし、基盤からの高さが1,400-1,900 mのカンラン石、複輝石、安山岩などで構成される成層火山である[5][9][42]。各方向に溶岩流を流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。末端には安山岩の大岩壁巌立がある[43]。一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶ外輪山の内側がカルデラであると推測され、カルデラ形成前の姿は、富士山に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。大爆発によって崩壊した土砂は土石流となって川を流れ下った岐阜県各務原市付近の各務原台地には御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできた火山灰堆積物地層となっている。この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成された複成火山であり、その山容はアフリカキリマンジャロ山に似ている[44][45]

1970年代以前の認識では、最後のマグマ噴火は約2万年前で以降は水蒸気爆発と考えられていたが、2006年(平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた国土交通省多治見砂防国道事務所や産業技術総合研究所(産総研)の調査によれば、約5200年前の火砕流を伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)のマグマ噴火を起こしている[42][46][47]。『信濃毎日新聞』の2007年(平成19年)4月30日の紙面に掲載された記事によると、岐阜県の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市小坂町内において、約5200 - 6000年前の火砕流が堆積してできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。最近の2万年以降の活動は水蒸気爆発と限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、ハザードマップなど防災に関する見直しが行われた。

1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている[48][49]。2014年現在、気象庁により「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」に指定されていて[50]、山頂周辺には火山活動の観測のための地震計、空振計、傾斜計、火山ガス検知器、GPS観測装置、監視カメラなどの観測機器が設置されている[51][52]。2001年から名古屋大学大学院環境学研究科が、「岐阜・長野両県における火山噴火警戒避難対策事業」として噴火の前兆現象を観測する地震計による御岳火山災害観測を行っている[53]。1979年の水蒸気爆発の6ヶ月前に三ノ池が白濁して池の中から泡が噴き出す音が発生した現象と、6時間前の火口直下での地震は、その前兆現象であったと見られている[54]2011年(平成23年)7月27日に「御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会」が開催され、御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画が策定された[46]。王滝頂上直下西面(八丁ダルミ付近)と地獄谷の噴気孔から硫化水素などの火山ガスを噴出し続けていて[55]、噴気孔から発生する火山ガスの轟音が聴こえることがある。

活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の水蒸気爆発

1979年(昭和54年)の水蒸気爆発以前において、御嶽山は火山学者の多くと一般大衆から死火山と認識されていた。実際、当該爆発を伝える新聞見出しも「死火山大爆発」などと報道された[56]。このことから、この時点において御嶽山は死火山であるとの認識が一般的であった。ところがこれは不正確な認識が一般的となっていたことを示しているにすぎない。例えば19世紀前半の文献には実際に噴気活動の証拠を示す現象が記録されている[49]。また 気象庁も、1968年(昭和43年)刊行の『火山観測指針』において御嶽山を「御岳山」として63座の活火山の一つとして掲載しており、直前の1975年(昭和50年)刊行の『日本活火山要覧』の77活火山にも包含されていた[57]

1979年当時は、定常的な観測体制が整備されていなかったため明確な前兆現象が観測されず、また活動自体も山麓から噴気が観察できる規模ではないまま同年10月28日に水蒸気爆発を起こし、約1,000 mの高さにまで噴煙を噴出した[48][58]。同日5時頃に発生した噴火は14時に最大となり、その後衰退した。噴出物の総量は約二十数万トン。噴煙は北東方向に流れ、長野県軽井沢町や群馬県前橋市にまで降灰が観測された[9][55][58][59]

この噴火をきっかけとして、日本国内における火山の分類(死火山、休火山、活火山の定義)そのものが見直されるに至った[9][49]。現在では「活火山」以外の用語は使用されない[60]

火山史

御嶽山の東山腹にある倉越高原
御嶽山の西山腹にある巌立柱状節理

御嶽火山の活動史は休止期を挟み古期と新期の2つの活動期[61][62]と新期以降から現在までの静穏期の3つに分けられる[9]。なお、各々の始まりと終わりの年代に関しては研究者により5万年程度の差違がある。また、最後のマグマ噴火は三ノ池を埋めた五ノ池のスコリア噴火と考えられているが噴火年代は不明である[63]

古期御嶽火山(78万年前以前から39万年前)

古期御嶽火山は現在と同じ位置に噴火口を有する中心火山により形成された、標高3,200-3,400 mほどの玄武岩安山岩デイサイトにより構成される複成火山[64]。古期御岳火山は、溶岩層の年代値と岩石学的特徴から、約78万年前以前から64万年前の降下テフラが卓越するステージと、約64万年前から39万年前の溶岩流が卓越するステージに大きく区分される[65]。降下テフラが卓越するステージは更に3つのサブステージに細分される[62]。また、溶岩層の年代値と分布から4つの火山体が推定されている[66]。広域テフラとして、湯川テフラ5と、上浦沢テフラがそれぞれ、上総層群中の白尾テフラ(約77万年前[67])と、笠森12テフラ(60-58万年前)に対比される[68][69]。このうち、白尾テフラは松山‐ブリュンヌ逆転の直下に存在し、地磁気逆転の年代を高精度で決定するのに役立ち[67]チバニアン という地質時代の命名に大きく貢献した。

  • 78万年前から65万年前 - 東部火山群
  • 68万年前から57万年前 - 土浦沢火山
    • 64万年前 - 東山腹に倉越溶岩を噴出した。周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原を形成。
  • 54万年前から52万年前 - 上俵山火山
  • 44万年前から42万年前 - 三笠山火山
    • 東山腹に安山岩質溶岩の三笠山溶岩を噴出。
休止期(約39万年前から10万年前)

約10万年前まで約30万年の活動休止期間が続く。山体は浸食を受けて深い谷と和村泥流を形成。

新期御嶽火山(約10万年前から2万年前)

活動域からは摩利支天火山群と西側の継母岳火山群に分類される[70][71]

  • 継母岳火山群 - 約9万年前の爆発的な噴火により、御嶽第1軽石層や塩尻軽石層、Pm-Iテフラを噴出し、広域テフラを関東地方まで降らせた[72]。この活動は、プリニー式噴火で古期御嶽火山の中央部に直径5-6kmのカルデラ形成する活動であり、流紋岩からデイサイトのシン谷溶岩層、湯ノ谷溶岩層、濁滝火砕流堆積物、三浦山溶岩層などを形成。総見かけ噴出量 50 km3(30 km3 DRE)。
  • 摩利支天火山群 - カルデラが形成された後の約8万年前から約2万年前の活動では摩利支天火山群の濁河火山、金剛堂火山、奥の院火山、草木谷火山、継子岳火山、およびほぼ南北方向に並ぶ小火山群として四ノ池火山、一ノ池火山、三ノ池火山などの火口から安山岩質の溶岩・火砕物などを噴出[73]。噴出量は四ノ池火口由来が最大で、一ノ池火口と二ノ池火口は山頂の小カルデラ内に形成された。また、現在の御嶽山の最高点の剣ヶ峰の火口丘と南北に並ぶ山頂群が形成された。
  • 約6万年前 - 摩利支天溶岩を噴出した。摩利支天第6溶岩が濁河川の支流の大俣川に沿って流下して形成された柱状節理である「巌立」(所在地が下呂市小坂町落合中サキ平)は、1957年(昭和32年)に岐阜県の天然記念物の指定を受けている[43]
  • 約5万年前 - 大規模な山体崩壊を起こし崩壊した土砂は東山麓の西野川から王滝川、木曽川流域を埋め約200km下流の愛知県犬山市にもその泥流の堆積物が残された。
約2万年前から現在までの静穏期

2000年代以前は、約2万年前からはマグマを噴出しない活動が主体で静穏な期間と考えられていたが、近年の研究では最近1万年間で4回のマグマ噴火と10数回の水蒸気爆発が起きたと考えられているほか、東山腹で山腹割れ目噴火も生じている[74]

  • 約1万年前 - カラ谷火砕流で1740万 m3軽石を中規模に降下した[46][75]
  • 約9,000年前 - 三ノ池溶岩で5億 m3の大規模な噴出をした[46][73]
  • 約6,000年前 - 五ノ池火口が形成された[75]
  • 約5,200年前 - 女人堂スコリアで140万 m3の小規模な噴出をした[46]
  • 約5,000年前 - 濁滝スコリアで35-75万 m3の小規模な噴出をした[46]
有史以降
2014年の御嶽山噴火後の火山活動(2014年10月11日)

『御嶽山 地質と噴火の記録』千村出版によれば、774年1892年に噴火活動があったとされているが、後の研究によりこの2回の噴火は発生していなかったことが明らかとなっている[49][76]。有史以降最も活発な活動は1979年に始まった。

  • 19世紀前半 小規模な噴気活動を示す記録が残る。
  • 1968年 気象庁「火山観測指針」 の63活火山に掲載。
  • 1975年 気象庁「日本活火山要覧」 の77活火山に掲載。
  • 1979年(昭和54年)
    地獄谷上部の標高2,700 m付近を西端とし東南東に並ぶ10個の火口群が形成され[9][48]、噴出量は18万トンから20数万トンほどの小規模な噴出量であった[46][77]。最大降灰深度は溫田原で 3cmと報じられた[78]。なお、噴出当初の火山灰は湿り気を帯びハロイサイト、カオリナイトモンモリロン石などを主成分とする 2 - 3mmkの粒状であった。また、モンモリロン石を含むことから山頂地表下の浅い場所に泥漿溜まりが存在し、その泥漿溜まりが深いところからの高温ガスによって熱せられ爆裂的に噴出したと考えられている[79][80]。約50名の登山者がいたが負傷1名[9]
    • 4月頃から三ノ池の水の白濁化[54]
    • 10月28日
      • 噴火の6時間前頃から、山頂直下の地震増加[54]
      • 5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した[9][58]
      • 5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が硫黄臭に気付き、15分後に降灰を受けた[9]
      • 6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者はジェット機に似た音やかなりの煙に気付いた[9]
      • 9時頃 - 三岳村から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された。
      • 9時30分 - 飛行機から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された。
      • 11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった。
      • 12時 - 長野地方気象台、臨時火山情報第1号発表。
      • 12時30分頃 - キノコ雲状の噴煙が確認された。八合目付近まで噴石が飛ぶ。噴火口付近では、直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された。噴煙は、4000mから5000mまで。
      • 15時頃 - 三岳村では降灰が盛ん。開田村では降灰により視界が10-20 m程となり、道路照明自動点灯。
      • 16時頃 - 開田村での降灰徐々に弱まる。
      • 17時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。王滝口村では多量の降灰が続いていた。
      • 18:45 - 長野地方気象台、臨時火山情報第2号発表。
    • 10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった[9][58]
    • 10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった。
御嶽山 火山性地震回数推移グラフ 2006-2007
    • 11月4日 - 白色噴煙 100m、活動小康状態続く。
    • 12月2日 - 深夜から山頂付近で微小地震と鳴動を観測。微小地震は数日間続く。
    • 12月末 - 噴煙極めて少量。
  • 1984年 気象庁『日本活火山総覧』の77活火山に掲載。
  • 1991年(平成3年)5月中旬 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した[48]。約1ヶ月前から火山性地震[81]。79火口群の一部の八丁ダルミ直下南と山頂直下南面の地獄谷の上部の噴気孔から噴気活動が続いている。粉体流(火砕流)が発生していたとする報告がある[77]
  • 2004年 微弱な地震と噴気活動[82]
  • 2007年(平成19年)3月16日頃[83] - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きた[84][48]。約4ヶ月前から火山性地震と山体膨張、約2ヶ月前から低周波地震と火山性微動[54][85]
  • 2008年(平成20年)3月31日 - 気象庁は、噴火警戒レベルの導入に伴い、噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)を発表した[22]
  • 2014年(平成26年)
    • 8月末より火山性地震を観測。
    • 9月27日 - 11時52分に噴火[86]

長野県西部地震による大規模崩壊

小秀山から望む長野県西部地震による御嶽山の南面の大規模な山体崩壊

1984年(昭和59年)9月14日8時48分49秒に南山麓で発生した長野県西部地震(M6.8)により、御嶽山南斜面で大規模な山体崩壊が発生した[42]。地震によって崩壊した大量の土砂は木曽川水系の濁川上流部の支流伝上川をかけ下り8分間で王滝川にまで達した[42][70][87]。平均80-100 km/h、延長距離約3 kmで、「御岳崩れ」と呼ばれることがある[88]濁川温泉、住宅、営林署の建物を流失させ、15人が犠牲となった[42]

5つの火口湖

二ノ池北西の斜面の下と賽の河原との間に水がたまった小さな窪地が「六ノ池」と呼ばれることがある。

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