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津雲貝塚

津雲貝塚 説明板付近

津雲貝塚(つくもかいづか)は、岡山県笠岡市西大島に所在する縄文時代晩期の貝塚遺跡国史跡

座標: 北緯34度29分4.2秒 東経133度31分59.8秒 / 北緯34.484500度 東経133.533278度 / 34.484500; 133.533278

津雲貝塚の位置(岡山県内)
津雲貝塚
津雲貝塚

概要

1867年慶応3年)ごろ工事途中で遺物が発見されている。1915年大正4年)鳥居龍蔵により発掘調査されたのが最初である。以後多くの研究者が人骨を目当てに発掘調査している。厚さ30センチあまりの貝塚層[注 1]から170体あまりの縄文人の人骨が発掘されたことで、全国に名を轟かせた。

現在でも、一部の教科書等に掲載されている。発掘当時から現在も所有者の畑となっている。 人骨はほとんど仰臥屈葬である[注 2]。ほとんどが抜歯が認められる。少数ながら貝輪や腰飾り、鹿角製耳飾りの成人骨で、石製首飾りをしている小児骨もある。 出土遺物は、縄文土器・石鏃(せきぞく)・削器(さっき)・石錘(せきすい)・土偶・土板・鹿角製釣糸である。

年代を決める縄文土器は、早期から晩期までのものがあるが、主体は後期・晩期である[注 3]

この発掘には、京都帝国大学(現在の京都大学)文学部助教授医学博士 清野謙次などが関わっている。これらの発掘で出土した豊富な人骨資料は、清野が原日本人説を唱える際の重要な資料となった[1][2]

発掘された資料は、京都大学、笠岡市立郷土館、個人宅に所蔵されている。

歴史

年表

脚注

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注釈

  1. ^ 貝塚はおよそ50メートル四方と推定されている。遺跡はさらに広がっている。層位は表土下約20センチメートルで黒色土層さらに約15センチメートルで貝層となる。貝層は厚さ30センチメートル余り。
  2. ^ 人骨は貝層中から見つかっている。伸展葬はわずかである。頭位は東から北東に向けるものが多い。
  3. ^ 瀬戸内地域の標識土器となっている後期中葉の津雲A式が出土している。

出典

  1. ^ 清野謙次・宮本博人 (1925). “「津雲石器時代人はアイヌ人なりや」”. 『考古学雑誌』 第16巻8号: 483-505.
  2. ^ 清野謙次・宮本博人 (1925). “「再び津雲貝塚石器時代人のアイヌ人に非ざる理由を論ずる」”. 『考古学雑誌』 第16巻9号: 568-575.
  3. ^ “笠岡の貝塚で土偶頭部が出土 縄文時代、珍しい表情”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2014年1月23日). オリジナルの2014年2月2日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140202104448/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2014012322363648/ 2014年8月12日閲覧。

参考文献

  • 京都帝國大學文學部考古學研究報告 第五冊「備中津雲貝塚發掘報告・肥後轟貝塚發掘報告」 臨川書店

関連項目

外部リンク


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